サボテンの鉢替え

サボテンが大きくなって小さな鉢では入りきらなくなった。
新しく鉢を買って植え替えた。1個9ペソ。
今まで窮屈な思いをしていたのが広い鉢に移って
気持ちがよさそうだ。

大きな家というのは人間の心をゆったりさせる。
サボテンも同じだろう。

夕べから投薬治療を始めた。副作用で体の部位が痒い。
胃袋に圧迫感があって、吐き気もする。
こんなの半年も続けるのかとげんなりするが、先回の反省もある。
吐き気がするからタバコも欲しくない。昨日はゼロ。(笑)

生まれてくる子のためにも良いことなんだろう。
子供がタバコを吸いたいと思っているわけではない。(汗)

昔々、酒を止めたときとよく似た感じだ。
突然飲みたくなくなった。
以来、35年、酔うほどに飲んだことはない。
人付き合いに、ちょっと不便だが、それ以外、何の問題もない。

数年間溺れた覚せい剤を止めたあとも欲しいとは思わなかった。

フィリピン人1000人切りを豪語していた女性は
家内と一緒になってぴたりと止めた。
一緒になったばかりの頃、数人、かじっては見たが、
今ではまったくその気にもならない。

博打はもともと好きではないし、
車も走れば何でも良くなったし、あれだけ買い漁ったブランドも
今は使えれば何でも良い。

グルメを自負し、もともと食堂の息子。
味にも講釈をたれていたのが、今は外米、鰯一匹で満足だ。

何故今まであんなに意味のないことをしていたのだろうと思う。
それに費やしたお金は私の稼いだお金のほとんどすべてだ。

いつも何かに追い立てられて、自分はこうあらなきゃならないと
勝手に思い込んで、用もないことを追い掛け回していた。

よくこんなにも次から次へと追い掛け回すものがあったものだ。
それだけ心が飢えていたということなんだろう。
そしてそれが資本主義経済のメカニズムなんだろう。

正直、今でもわからない。もの=金なら
生きていくうえで金は必要なんだし、金に換わるものもない。
十分な金があれば便利だし、不安も少ない。
世界中の人に均等に金を分け与えたら、
たぶん全員が不足なんだろう。
そうじゃなきゃ、奪い合いなんか起きないのだろう。

なら子供や家内の分だけは用意してやらなきゃならない。
そういう制約を否定してしまったら家族全員が路頭に迷う。
文句を言いながらもその制約の範囲でしか動けない。

あと20年もしないうちに、私は消える。
私が人生を終わるときまでに結論が見出せるとも思えない。
何も持ってはいけないのだから、私自身は何も要らない。
だからといって子供や家族に辛い思いはさせたくない。

残してやれる不変なものってなんだろうな。
不動産なんていったら土地の値上がりに拍車をかける。(笑)
とりあえずは自立できるまでの生活基盤だけれど
それすら簡単なことではない。暢気なことを言ってられない。(汗)

サボテン君はいいな。何も考えずに幸せそうだ。


フィリピンがすべて良いわけじゃない

私の記事を読むと何でもフィリピンが良いと書いているように
思うかもしれない。そんなことはまったくない。
フィリピンは欠点だらけの国だ。
政府高官の汚職は当たり前。
自分の国を発展させようなんていう気はまったくない。
有能な連中は自分だけの利益を求めて海外に出ようとするし
残った連中も飢えた野獣のようだ。
覚せい剤は蔓延し、取り締まるはずの警官がそれに溺れ
権力に寄り添う嫌味な女がそれについて回る。

法が法として機能せず、交通は渋滞し、製品の質は悪く
物価は高い。
住民は自分の義務を果たさず、仕事も適当で、要求だけは高い。

でも、人間らしいし、暖かいとは思っている。

私がいつも反発するのはそれを言うのがフィリピン人ではないからだ。
ここは彼らの国で、外国人はそこに寄生してるだけ。
いうなれば日本の湖にいるブラックバスみたいなもので
私たちがここにいることで湖の生態系を壊し
弱者をより弱者にしていることを意を解さないからだ。

例えば、ここはカソリックの国だ。
カソリックは神の前では誰もが不完全だという認識がある。
自分は完全ではないのだから導いてくださいという前提がある。
それは自己責任を放棄した甘えでもあるのだが
自分が絶対正しいという驕りはない。

間違っているのに、謝らないのは何故だという疑問はある。
しかし、世の中に起きていることすべてに絶対的正義なんかない。
間違っているというのは相対するものが決めているだけで
断じて絶対のものではない。

例えば持ち主がアメリカに移住している農園があって
そこにりんごがなっている。
腹を減らした少年がそれを取って食べる。
それは泥棒だが、はたして悪いことだろうか。
放っておけば朽ちて落ちるだけだ。
しかし農園の持ち主が明日帰ってくるかもしれない。
帰ってくれば悪いことだが、帰ってこなければ悪いことではない。
腹を減らした老人がいて、少年がその老人のために取ったら
これは責められるのだろうか。

人間の世の中なんて、あいまいなものだ。
そこにはそこの考え方や習慣があって、外来種がくるまでは
うまく機能していた。

アフリカの原住民がはだしの生活をしていた。
足は鍛えられ、足の裏は硬くなり、多少の石や木を踏みつけても
痛くもない。
そこにイギリス人がやってきた。靴を薦めた。
なるほどこれなら尖った医師を踏んでも痛くない。
靴をもらった。しかしはだしの足なら鍛えられるが
靴は壊れる。靴が壊れたとき、原住民は靴を買わなければ
ならないほど足が柔らかくなってしまっていた。

新しい便利なものは確かに欲しい。
でも、本当にそれが必要なのだろうか。
トラックがなければ輸送が滞る。流通が滞るということは
その場での自給自足が必要になる。
昔の人間なら、綿を紡いだり、わらじを作ったりもできた。
今の人間にそれができるだろうか。
朝、日の出とともに起きて、働き、日没とともに家に帰る。
テレビがなければ家族との団欒が増え、絆が深まる。

そこに外来種がトラックでテレビやコンピュータを持ち込んで
お前たちが貧乏なのはお前たちに能力がないのと
勤勉ではないからだ。余計なお世話だろう。
ここは遅れているからネット環境が悪い。
お前たちが能無しだからだ。
それなら、自分の都合の良い場所に移ればよい。
この国はそんな連中にいてくれって頼んでない。
自分の国では土地が高く、ライバルが多く、
自分がそこに埋もれてしまう。
だからものが安い、労働力が安い、外国に来てるんだろう。

その国に来て何をするのも良い。
でも、その国を批判なんかするべきじゃない。
価値観が違うんだし、何より批判している本人が
どれほどのもの何だろう。

炎天下で道路工事をフィリピン人に混じってやってみたらいい。
おそらく30分もせずに音を上げるだろう。
ごみ山で子供たちに混じってごみ拾いをしてみたらいい。
子供の半分も集まるまい。
こんな人間も必要なんだし、それを否定するなら利用しないことだ。
昔、高井戸でごみの焼却場建設反対運動があった。
お前のごみはどうするんだ。
焼却場があるから快適な暮らしができるのだろう。
自分勝手で傲慢だとは思わないのだろうか。

繰り返すけれどフィリピンが良いというのじゃない。
でもフィリピンのことは、フィリピン人自身が決めることだ。
イラクの問題だってアフガンの問題だって同じだ。

アメリカはまとまっていたイラクを内戦状態にした。
タリバンの下に安定していたアフガンを混乱に陥れた。
彼らが民主化を本当に望んでいるなら
彼ら自身がやる。余計なお世話だ。



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