社会とルール
Eigyさんのコメントに新しくスレッドをたてました。
ルールを守るから社会が成り立つのではなく、
ルールというのは社会の中の個々の利益を守るため設けられる。
どっちでも同じようなものだけど実は違う。
社会というのは人間、人間じゃなくても2つ以上の個体が
集まれば自然発生する。
最初からルールがあるわけじゃない。
そこで争いが起こる。そのときにその社会で普遍的な方法で
誰もが公平に主張を通せるようにするのがルールです。
これを慣習法といいます。
それが法文化されたものが法律なんです。
だから出来上がったルールは守らなければならないけれど
それが普遍的なものでなくなったときには
変えることができる。
つまり、個人が先にあってのルールなんです。
わかりやすく言えば誰かがこうすればうまくいくと考え
それを法文化する。
これがそのコミュニティでの共通の認識であれば問題ない。
ところが時代が変わる。最低賃金法で300ペソと
定められた給料がインフレによって目減りする。
その結果、労働者と経営者の間には認識のずれが生じる。
この場合、ルールは微調整していかなければいけないんです。
ところが、権力者は無力な労働者に規制ルールを押し付ける。
貧富の差が生まれるわけです。
夫婦間では夫と妻という小さな社会構成単位なんだけれど
それでも軋轢が生じる。
これが社会規模が大きくなるとその地域の常識となる。
この常識は世界中、同じじゃない。
例えばフィリピンの5月に日中道路工事をしていたら
熱射病になる。その時間手抜きをするのは当然なんです。
ところが日本が真夏の8月、
フィリピンの学校は休みじゃない。
フィリピン人がいつもシャワーを浴びている。
清潔好きというより、暑さ対策ですよ。
ここにきて、日本のやり方をいくら言っても無理なんです。
フィリピンという風土に適合したフィリピンのルールを
勤勉だとか努力という言い訳で破っているのは
むしろ日本人のほうなんです。
実際に経験があるけれどイスラム圏内で工事をする。
イスラムの毎日の礼拝や、断食月、断食明けというのは
当然考慮に入れておかなければならないこと。
怠慢だとか、何だあいつらと批判するほうが間違っている。
多分このスレッドはいろんなコメントがつくと思います。
全部書いちゃうととてつもなく長くなるから
コメントに対応する形で主張したいと思います。
ルールを守るから社会が成り立つのではなく、
ルールというのは社会の中の個々の利益を守るため設けられる。
どっちでも同じようなものだけど実は違う。
社会というのは人間、人間じゃなくても2つ以上の個体が
集まれば自然発生する。
最初からルールがあるわけじゃない。
そこで争いが起こる。そのときにその社会で普遍的な方法で
誰もが公平に主張を通せるようにするのがルールです。
これを慣習法といいます。
それが法文化されたものが法律なんです。
だから出来上がったルールは守らなければならないけれど
それが普遍的なものでなくなったときには
変えることができる。
つまり、個人が先にあってのルールなんです。
わかりやすく言えば誰かがこうすればうまくいくと考え
それを法文化する。
これがそのコミュニティでの共通の認識であれば問題ない。
ところが時代が変わる。最低賃金法で300ペソと
定められた給料がインフレによって目減りする。
その結果、労働者と経営者の間には認識のずれが生じる。
この場合、ルールは微調整していかなければいけないんです。
ところが、権力者は無力な労働者に規制ルールを押し付ける。
貧富の差が生まれるわけです。
夫婦間では夫と妻という小さな社会構成単位なんだけれど
それでも軋轢が生じる。
これが社会規模が大きくなるとその地域の常識となる。
この常識は世界中、同じじゃない。
例えばフィリピンの5月に日中道路工事をしていたら
熱射病になる。その時間手抜きをするのは当然なんです。
ところが日本が真夏の8月、
フィリピンの学校は休みじゃない。
フィリピン人がいつもシャワーを浴びている。
清潔好きというより、暑さ対策ですよ。
ここにきて、日本のやり方をいくら言っても無理なんです。
フィリピンという風土に適合したフィリピンのルールを
勤勉だとか努力という言い訳で破っているのは
むしろ日本人のほうなんです。
実際に経験があるけれどイスラム圏内で工事をする。
イスラムの毎日の礼拝や、断食月、断食明けというのは
当然考慮に入れておかなければならないこと。
怠慢だとか、何だあいつらと批判するほうが間違っている。
多分このスレッドはいろんなコメントがつくと思います。
全部書いちゃうととてつもなく長くなるから
コメントに対応する形で主張したいと思います。

